MATSUDAI

じもらー達

 

 交流が始まってはや5年。もっと地元のことを知らなければ、ということで、夢中塾では、妻有の地で自分らしさを求めながら生きている人々をご紹介します。

 
    高橋清史さん
    ~まつだいで農業を担いたい~
 
 
    奥寺百合さん
    ~新しい感覚で地元にとけ込む
           生活のアーティスト~
 
    村山大介さん
   ~地元発信の陶芸を目指す~
 
   宇田川浩子さん
     ~息子さんが作る
     おいしいパンを明るく販売~
 


 

高橋清史さん ~まつだいで農業を担いたい~

1982年、まつだいに生まれる。高校生時は上越市に通い、卒後、東京へ。専門学校卒後、映像関係の仕事に就いたが、自然の中に身を置きたい、土に触れていたいとの想いが募り、まつだいに戻る。実家は農業を営んでいる。
20代前半の若き農業家は、現在、運送会社に勤めながら、自分らしい農業のあり方、まつだいでの生き方を模索している。


農業への思い

小さい頃、自然の中にいるのが普通でしたので、都会のビルの中にいることに違和感を覚えていました。そして結局、まつだいに戻ってきました。
小さい頃は、家の手伝い、農業がいやでした。ところがまつだいに帰ってきて、農業の重要さを感じたんです。僕は、ごはんが大好きで、お米を作っているこの土地がすごいところだと思えたし、今もそう思っています。
この辺は兼業農家がほとんどですので、いつ頃から100%農業をやるかは考えている最中。取りあえず農業で食べていける方法を探しているところです。今は、家の手伝いと農耕文化センターで棚田のオーナー制度をやり、僕がその田んぼを管理しています。それはボランティアに近いですけどね。


まつだいでの暮らしを考えている人へメッセージ

Uターンの場合は地盤がありますが、Iターンの場合はそれなりの苦労があるでしょうね。
まずはその土地や人などをよく知ってから来たほうが良いと思います。田舎で暮らしたいからと、いきなりぽんと都会の感覚で来ると、「違ったな」となります。例えば、田舎は近所の目がうるさいし、噂もすぐ立ちます。裏返せば、みんなから心配されているということかな。困ったらみんなが助けてくれる優しい町です。それに地元の立場から見ると、都会から人が来れば地元の人の刺激になるというか、変化になると思います。


まつだいのおすすめ
自然の変化。雪の日の夕焼けがきれいなんです。
 
カフェバー「ちゃもっこ」にて
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■奥寺百合さん ~新しい感覚で地元にとけ込む生活のアーティスト~

1974年東京生まれ、横浜育ち。妻有に来たのは1999年の冬。2000年の「大地の芸術祭」でボランティアとして参加したのがきっかけ。
2002年11月にまつだい駅近くの一軒家を借りて、カフェバー「ちゃもっこ」を開店。ちゃもっことは、土地の言葉で「お茶のみをする」という意味らしい。営業は、午後7時~12時。客は、地元の方が会合などのあとお茶を飲みに。最近は、十日町や上越などから電車で来てくれる人も増えているという。お店のほか芸術祭で来るアーティストの手伝いなどもしている。
聡明さと年齢よりも大人の雰囲気を漂わせる奥平さん。お話をお聞きした日は、まつだい駅前の「農舞台」(農耕文化村センター)のレストラン内で山羊のお乳でチーズを作っている最中だった。


まつだいに住むわけ
私は学生のときから現代芸術をやっていました。2000年に大地の芸術祭があることを知り、参加メンバーをみるとすごい人たちがいたので、面白そうだなとすぐボランティアに応募しました。新潟なら1泊2日で行き来できると思いましたし。それまでは、芸術活動の傍ら、夜、バーテンダーをやっていました。

奥寺さん

芸術祭の「光の家」の立ち上げスタッフとして2年間川西町にいて、役場の人に手取り足取り地元のことを教えてもらったんです。
作品作りを手伝うのがメインではなく、どちらかというと食事に興味がありました。都会にいると常に消費者で、なんかいやだと。一次産業に興味があり、地方ってどんな感じなのか、住んでみたいなあと思っていたので、このボランティアは渡りに舟だったんです。
そうこうするうちに同じ年代の仲間ができてきて、ここは何かをやれそうな土地で離れるのは惜しいし、温泉に入れなくなるのも寂しいということになり(移住)。ただ、収入は大きな問題ですよね。悩んだんですが、ここで仕事を探すというのは難しいと。仕事がないからみんな都会に出る訳ですから。
それならと、お店をやるという計画をかなり前倒しにしました。 まつだいを選んだのは駅があることが大きい。それにまつだいではイベントをいろいろやっているので元々魅力的な町でした。常に何かあり、都会から来る人がいるので、刺激を常にもらえるようにしています。
住んでいるといろんなものが見えてくるので、ここに住みながらどれだけ楽しいことができるかが、課題です。今もその企画書を書いていたんですよ。感性的に飢えるということはあるので、間隔は空きますけど、できるだけ外に出かけていくようにしています。去年は上海トリエンナーレに行ったり、ニューヨークに行ったりしました。極端ですね。

田舎ぐらしって

細かいことを言われることはあります。良い意味では統率が取れる。何時に帰ってきて何をしていると、なんでも把握しておきたい、人となりを知っていたいという雰囲気はありますね。都会の人間としてはプライバシーが気になる部分かも。細かいことを気にする人は辛いかもしれませんけど、私は結構大雑把なので、まあいいかと。
冬は寒いですけど、マイナス10度までいかないです。それに雪は、今は毎朝、除雪してくれますので、労力的にはそんなにたいしたことはないと思います。私は来て良かったです。死ぬまでいるか?予定は未定です(笑い)。


まつだいのおすすめ
常に季節は感じられますね。鮮やかに変わってくるので、楽しいですね。
 

カフェバー「ちょもっこ」。一見、雑然としていながら、なぜか居心地がいい。

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■村山大介さん ~地元発信の陶芸を目指す~

まつだいを含め近隣5市町村が合併して、十日町市となった。村山さんは、出身の旧十日町市で陶芸家として活動し始めた。
1977年生まれ。毎週日曜日(連休はその間)、十日町市の「越後妻有交流館・キナーレ」で展示販売をしている。
最近は、生活の基盤づくりのために陶芸教室も開講した。 村山さんの作品に興味を持たれた方は、「村山大介陶芸研究所」(TEL&FAX 025-758-2690)まで。


なぜ故郷で陶芸をやるのか

旧十日町市は着物の町で、それに関連した仕事に就きたいと思い実業高校の染色科に行きました。そのうちに違うものでもいいかなあと、土に触ったこともないのに飛騨高山の陶芸の専門学校に行きました。その後、紆余曲折あり、大分県の国東半島で4年間ほど陶芸の仕事に就き、結局、十日町市に戻ってきました。

村山さん
「知らないところで自分の作ったものが使われていると思うと不思議な感じです」

大分ではよくしていただいたのでできればそのままいたかったんですが、貯めたお金が底を突き、何をしようか十日町に戻ってゆっくり考えようと思ったら、大分の湯布院で喫茶店を開くから器を作ってくれないかという話がきたので、こちらで取りあえずやらなければ、と。湯布院は全国からお客さんが来るので、反応を見るには良いかなと思いました。

現在は、焼き物と陶芸教室をやっています。経済的にはかつかつという感じです。窯は自宅の車庫にあります。地元の土は、はじめは使う予定はなかったんですけど、地震で土砂崩れしたところを見たら、ほとんどが粘土層だったのでその土で試してみました。まだサンプリング程度ですが、ちょっとずつそれに切り替えたり、土として使えなくても表面にまぶすには問題なく使えるので、いろいろやってみようかなという考えはあります。

それからこの辺りはそばが有名で、そば屋からそば殻をいっぱいもらってきて、それを燃やして釉薬にしてみました。これらが産業になっていくと結構楽しいかなと思います。 自分は、いろんな窯元を巡ったので、技法などなんでもありという感じで幅があると思います。焼き物のプロの方には、厳しい意見を言われることもありますが、例えば着物屋さんなど焼き物に関係のない職業の方には評判が良いんですよ。

いなかでの生活

同世代でここに残っているのは農家の人ぐらいですね。一度、外へ出た人は年に1度も返ってこないし、疎遠になっています。地元に残っている人たちとの関わりはあまりないですね。こちらに帰ってきて知人に会ったら、「仕事がないのになんで帰ってきたの?」って聞かれました。選ばなければ仕事はあると思いますが、自分のやりたいこととなると自分で始めるか、それなりに準備しないとできないと思います。
それから、大分県しか知らないんですが、比べるとしたら、見知らぬ人が来た場合、住みやすさや受け入れは、大分よりも十日町市のほうが良くないかもしれませんね。

地場のそば殻を釉薬として使って焼いたそば猪口

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■宇田川浩子さん ~息子さんが作るおいしいパンを明るく販売~

パン屋「ひまわり」の屋号通り、宇田川浩子さんの笑顔は明るくてチャーミングである。まつだいに育ち、東京で仕事に就き、ずっと都会暮らしをしていた。いずれはまつだいに帰って田舎暮らをしたいと思っていたという。
2002年の秋にまつだいに越してきてパン屋を開店。息子さん(次男)がパンを焼き、お母さんの浩子さんが売る。まさにホームメイドである。
取材の帰りに買ったコーヒークリームが入ったパンとクリームチーズのデニッシュは、やさしい味でおいしかった。


まつだいで暮らすことを決めたのは

まつだいでパン屋をやるために来ようと思ったのではなく、年を取ったら自分のふるさとに帰って生活したいと思っていました。その想いと、ホテルでパンを焼いていた息子が一軒家で何かをやりたいと言っていたんですが、都会で一軒家のお店をもつのはとても無理。じゃあ、私の田舎であるまつだいに来てやろうかと二人の気持ちが重なり合い、来ることを決めました。

東京にも家があり、長男が住んでいますので、私自身は、息子の仕事を手伝いながら、田舎と都会とを行ったり来たりできればいいなあと思っています。 友人にも田舎暮らしをしたいと思っている人が多いんですよ。 こちらで生活するのは、やはり何か基盤がないと大変かもしれません。

焼きたてのパン
いろんな種類が並べられている

ただ、最低限の生活をしようと思えば、車は必需品ですが、2人で15万円も出せれば働かなくても可能です。住居費は月4,5万円じゃないでしょうか。都会はすべてお金で買わなければいけません。でも田舎は、山に行けばなんでも採れますし、近所の人もパンを買いに来てくれるたびにいろんなものをもってきてくださいます。お米だって安く分けてもらうことができますし、あとは皆さんからいただいたものや採ってきたものを上手に保存して使えばいいんです。私はそれを楽しみにやっています。都会から来た人はいただいたものを上手に使えると思いますよ。

よく田舎での収入は少ないといいますが、少ないなりに見合った生活ができる。それを都会の人が知らないということがあるのではないでしょうか。冬は、雪を掘らなければならない家だとそれに時間を取られますが、むしろそれを楽しめばいいと思います。私は、ここでは人間らしい生活ができて良いと思うんですよね。


いなかで暮らしたいと思っている人へ

慣れること。都会の感覚でこうじゃなきゃだめじゃないかということではなく、田舎の感覚に慣れるという前向きな姿勢がないと田舎の生活は苦しくなってきます。都会の人は泥がついて「わ、汚い」と言う。ちょっと自然に触れてみようという程度じゃだめ。本当に自然の中に浸るというのは長靴でもさっと森の中に入っていけるような姿勢がないと、その中に染まれません。染まってしまうと、私の友人のように、「田舎にくると生き返ったみたい」と言います。もしご近所と軋轢が起こるとしたら、慣れないから。ずっと同じ所に住んでいる人にとっては、外から来た人はよそ者という感覚がどうしてもありますからね。慣れるまでに皆さん寂しくなって、やっぱり都会がいいわとなる。だからそういう人たちが集まって話をしていくと、徐々に生活に慣れていくんじゃないでしょうか。私のような人間と友達になれば、たぶん田舎で生活しても安心だろうと思います。
 まつだいも若い人が住みやすいような、生活をしたいと思うように基盤整備をもっとするべきだと思います。


まつだいのおすすめ

自然の素晴らしさですね。というのは秋に、母と山に行って、村道を上がるときに振り返ってふっと空を見ると夕焼けがものすごくきれいで、子どもの時に見た夕焼けと同じでした。「かあちゃん、都会ではあんなきれいな夕焼け見られないよね」と母に言ったら、60年近く毎日そこを通っていた母が、「そんなこと考えたことがないから分からない」と言うんですよ。そして私に言われて始めて、「こんなにきれいな村だったのか」と、感動したんです。私はこどもの頃から、この村が好きでしたから、その夕焼けが頭の中に焼き付いている。素晴らしいんですよ。都会の人はきれいな自然を見るためにお金をかけて出かけなければいけない。でもここだったら丸ごとそれ。気持ちの豊かさが違います。知り合いに平日は東京で働いていて、週末こちらにやってくる40代のご夫婦がいます。そのご夫婦は犬を飼っていて、一緒にこちらに連れてくるのですが、まつだいから東京に戻るときは帰るのを嫌がりなかなか車に乗らないそうです。犬も生き返るところです。

外観。
JRほくほく線まつだい駅のそば

 

 


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